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〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目5−5 レモン パート II ビル ・1F 03-3295-0430

AboutLEMON

レモン画翠の始まりは大正時代に遡ります。
初代の今井鐵次郎は16歳で洋画材料商の道に入り、大正12年に今のレモン画翠の前身となる「今井鐵次郎商店」を開業しました。
今井はフランスやイギリスからの画材の直輸入とアメリカへの直輸出を行い、最盛時には御茶ノ水と新宿の二店舗で、都内全域の画材店と契約を持つ卸業を営むまでに発展しました。

昭和8年、今井は東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の売店を引き継ぐことになりましたが、その頃から戦争による物資の不足で商売は立ち行かなくなり、さらに戦況の悪化で本支店も強制疎開の命令をうけます。

第二次大戦後、自分の店を失ってしまった今井でしたが、幸い売店のあった美術学校が空襲から焼け残ったことを知ります。大学の売店に置かせてもらっていた商品も無事だったことから、商売を再開して戦前のストックを美学生たちに廉価で販売しました。
この売店は、永く芸大の学生や先生方にご愛顧いただき、今も姉妹店「画翠」として、東京芸大内で画材の販売を続けています。

昭和25年、のちに二代目となる松永和夫は、当時在籍していた三越デパートの宣伝部を辞め、今井鐵次郎の娘である富美子夫人の希望で、お茶の水駅近くの神田駿河台に喫茶店「レモン」を開業しました。
名前の「レモン」は、学生街・お茶の水の学生たちの「新鮮」というイメージに由来したもの。お客様の目の前で果物を搾って作る「ジュースのお店」として評判を呼び、連日大盛況の人気店となりました。

その後、富美子の希望で喫茶店の半分を使って画材の小売を始めることになり、今井の屋号である「画翠」をつなげて、「レモン画翠」というユニークな名前のお店が誕生したのです。
周囲にデザイン関係の学校が多かったため、画材店はいつも満員の盛況ぶり。昭和30年にはイタリアで学んできた境沢孝氏に店舗デザインをお願いし、喫茶店と画材店との境界を全く排除した内装に変えました。今となっては良く見かける形態ですが、当時同じ空間の中で異なった業種が商売をするという発想は斬新で、試みたのは多分「レモン画翠」が初めてだったのではないでしょうか。


昭和43年、和夫と富美子は明治大学の裏の駿河台に、レモンの支店として、画材・輸入雑貨販売と食事のできる喫茶店を開業します。庭にプールのある邸宅を改築した趣のある建物と、本店も手がけた境沢氏によるモダンな内装で、文化学院のお洒落な生徒やアテネフランセの先生方が集う当時の最先端を行くお店。学生たちにはお洒落すぎて敷居が高く感じてしまうくらい憧れの場所でした。「レモンの袋を持っていないと御茶ノ水は歩けない」などと雑誌に書かれるほど、一時はブームのようなものが出来上がったこともあるほどで、「日本のカルチェ・ラタン」と呼ばれた当時の御茶ノ水界隈の中心的存在が、「レモン」でした。
第一線で活躍される一流の建築家やデザイナー、アーティストで、レモン画翠に懐かしさとともに今も特別の想いを感じる方が多いのも、当時学生だった彼らにとって印象深く、影響を与えた店だったからなのでしょう。
その後、昭和62年になって、現在の「レモンパートⅡ」ビルへの建て替えとともに、現在のトラットリアレモンを開設。当時主流だったデザインだけの内装ではなく、ヨーロッパの建築のように年月を経ても味わいのあるデザインを求め、工芸家の西野和宏氏の手による胡桃の木とアイアンを組み合わせた落ち着きのある内装としました。イタリアンレストランとなったトラットリアレモンですが、喫茶レモンの時代から愛されていたフレッシュジュースや和風パスタは、今も人気メニューとして健在です。